7月15日、ホモコントリビューエンス研究報告書[第6号] を刊行しました。

[テーマ] 仏教における自他の関係
[講師]  奈良康明 (駒澤大学総長)
[研究会開催日] 2004年12月5日

研究会開催時の様子はこちら

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【目次】
Ⅰ 食中座談
Ⅱ 講演と討論
2.1 はじめに ―慈悲の原点は「他を自にひきあてる」ことにある―
2.2 四摂法と同事
2.3 「見る」、「知る」ということの東洋での意味
– 般若(はんにゃ)とは何か
– 西洋の「知る」との比較
2.4 「われ在り、故にわれ思う」、「われ生きている、故にわれ在り」と「われ思う、故にわれ在り」
– 大文字のセルフと小文字のセルフ
2.5 空とはなにか
– 道元の「自己」
2.6 インドラズ・ネットとしてのダンマ
– 現代の複雑系につながる
2.7 ライプニッツ、スピノザにも近い、個と全体観
– 怠け者は社会の働きには必要な存在
2.8 「はたらき」を「はたらかせる」
2.9 自分と他者が一つに通じ合う
– よくみれば なずな花咲く 垣根かな(芭蕉)
– 「車椅子をただ押しています」が本当の慈悲の行為
2.10 慈悲とホモコントリビューエンス
– 真実をはたらかせて生きることの中核は慈悲
– 「ホモコントリビューエンス」の理解
2.11 四摂法のユニークさ
– 同事ということ
– 釈尊と禅者との倫理を説く姿勢の違い
– 環境問題に関する視点としての同事
2.12 われ山を愛するとき、山、主を愛す
– 私たちの日常で迫られる苦渋に満ちた選択
Ⅲ 討論
3.1 科学における自他との比較をめぐって
– 悟りの世界に眼を向けすぎていて現実離れしている仏教の指導者も
– ロボット技術にも人間の押売りの主張が:非同事の支配
3.2 仏教の社会性
– 自己を究めることを本義とする仏教では社会性は二義的問題だった
– キリスト教との違い
– 現代の仏教者に求められる社会内存在としての自覚
– 「愛の反対は憎しみではなく、無関心だ」:ショックを受けたマザー・テレサの言葉
3.3 聖と俗
3.4 失われた生活における宗教教育の伝統